
ウズベキスタン
2019年8月2日~8月9日
今回はクラブツーリズムのツアーに参加。総勢40人と大世帯になったので20人ずつに2分割する。観光など重ならないように調整している模様。たまに食事が重なる時がある。
8月2日
成田空港を1時間遅れの12時過ぎに出発。タシケント到着後国内線に乗り換えてウルゲンチヘ。バスで1時間かけてヒヴァ城の西門前のホテル マリカ・ヒヴァに到着。ホテルから城壁を振り返るとUzbekistanの文字が浮かんでいる。

8月3日 ヒヴァ城内散歩
今日の出発は8:30と遅い。ホテルの真ん前がヒヴァ城の西門。
行ってみると門が開いていて出入り自由のよう。入って行く。歩いている人は少ない。後で聞いたところによると、城内には数百人の人が住んでいる。この住民のためにも門はいつでも開いているようだ(ある時間が来ると係員が来て入場料を徴収し始める)。また城内の人には税金がかからないという。世界遺産だから住居にはかなりの制約がかかっているが、無税のため引っ越していく人はいないという。

ヒヴァ城概略図 下部真ん中が西門
カラカルパクスタン共和国
カラカルパクスタン共和国はウズベキスタン共和国内の自治共和国。独自の憲法、国旗、国歌も持っているがウズベキスタンの憲法を逸脱できないし、外交権もない。土地面積はウズベキスタンの37%もある。
バスで2時間ほどかけて古代ホレズム王国の遺跡トプラク・カラ、アヤズ・カラへと行く。カラとは城塞という意味だそうだ。


これが遺跡だと言われた時にはびっくりした。

トプラク・カラ
この写真のように上から見れば、遺跡かなと思える。

このゲル内で昼食。
途中スーパーに寄りホテルには16時の帰着。スーパーではワインを購入。現地ガイドのカモラさん推薦の赤、白。1本18,000スム(≒250円)と安い。インドのワインと違い十分に飲める。
18時よりヒヴァ城内散策。城内のレストランで夕食。

ライトアップされたミナレット
8月4日 ヒヴァ城観光
5時にホテルのロビー集合で朝焼けを見に行く。ヒヴァ城の北門に登る。
が腹の調子が悪くなりホテルに戻る。
朝食は普通に摂れる。11時まで自由時間なのでヒヴァ城に入場し塔に登る。

城壁、建物の壁はみな土に藁を混ぜ固めたもの。もしくは日干し煉瓦を積んだもの。
11時よりヒヴァ城内観光。
カモラさんの話では、イスラム教であるから妻は4人まで持てる。妻は王様からもらった装飾品を常に身に着けている。何故かというと、王様に新しい女ができた時には、今いる4人の妻の誰かが離婚されてしまう。離婚と言われたときに身に着けている装飾品は持っていける。が、身に着けていない物は離婚と言われたときには置いていかなければいけない、というルールだったからという。

ハーレム内 王様の寝室
食あたり
腹の調子がだんだん悪くなってくる。下痢をしてきているので昼食はスープだけ、夕食は水だけ。嘔吐もする。
カモラさんは、ビールを飲んだ後スイカを食べすぎるとおなかが痛くなりますからたくさん食べないでください、と言う。
昨晩はビール、ワインの後に、甘くておいしいからスイカを2切食べる。
でも食い合わせでこんなになるかね。
私はゲルでの昼食時にトマト、キュウリを生でかじってしまったことが原因だと思っている。
21時過ぎの国内線でブハラへ行く。
8月5日 静養
朝、昼と食事を抜きホテルで静養する。ビオフェルミン、正露丸を飲み、上から下から全部出したせいかかなり落ち着いてくる。
お腹もすいてきたので民族舞踊ショーを見ながらの夕食に参加する。アルコールは飲まずに、加熱処理されたものだけを少し腹に入れる。

民族舞踊ショー
8月6日 シャフリサーブス
朝6:30に出発しバスで4時間ほどかけてシャフリサーブスに到着。シャフリサーブスはティムールの生誕地。
ティムールは14世紀のモンゴル帝国の衰退期に遊牧民貴族に生まれ、西は現在のイラクから東はインドの一部を征服。明への遠征途中で死亡。イスラム教徒。とネットで調べる。

ティムール帝国の最盛期勢力範囲

ティムール像
ここシャフリサーブスにティムールの墓があるが、生前に作ったもので遺体はここにはなくサマルカンドにある。またバスで3時間かけてサマルカンドに移動。
サマルカンド グリ・アミール廟
ティムールの墓のあるグリ・アミール廟へと行く。ティムールとその家族と言っても男系。息子や孫のウルグ・ベクの墓もある。ソ連の命によりティムールの遺体を調べることになる。棺には、私を起こすと戦争が起きる、と書いてあったため現地の学者は反対するが、ソ連から遣わされた学者は、調べないと我々が殺される、と棺を開き遺体を調べたそうだ。すると24時間もしないでドイツがソ連に攻め込んできたという。

中央黒いオニキス製の棺がティムールの物 実際にはこの3m下に墓がある。
レギスタン広場
レギスタン広場のライトアップを見てからホテルへ。21時にホテル着。
レギスタン広場のライトアップはオレンジ色に輝いている。何分かすると突然にライトが消える。あら停電だ、停電前に写真が撮れてよかったね、と話していると、またライトアップが始まる。今度は赤色、青色と色が変わる。

青色のライトアップ
ここサマルカンドのホテルにはバスタブがない、シャワーのみ。レバーを引き赤色マークのついている左側にレバーを回す。いつまでたっても水が出ない。いくら暑い気候だからといっても水をかぶる気はしない。タオルを濡らし、絞ってから身体を拭く。
8月7日 サマルカンド観光 シャーヒ・ジンダ廟
ティムールの関係者の墓がずらりと並んでいる。ティムールの何番目かの妻、妹、姪だの女性の墓が多い。

シャーヒ・ジンダ廟
ビビハニム・モスク
ティムールが奥さんのビビのために作ったといわれる中央アジア最大のモスク。奥さんが、ティムールが遠征から帰ってくる前に作ったという説もある。

ビビハニム・モスク
レギスタン広場
昨晩ライトアップを見たレギスタン広場へ行く。レギスタン広場はシルクロードの時代に隊商が一番先に到着した場所。閲兵や各種催し物をした広場だそうだ。
3棟とも神学校だそうだが、向かって左側が一番古く、ティムールの孫のウルグ・ベクによって建てられ、イスラム教の教義だけでなく天文学や数学、哲学も教えていたという。その後に右手の神学校、正面の神学校と建てられていく。

同じツアーの人と
もう暑いので15時にはホテルに帰着。昨日お湯が出なかったのでホテルの担当者、ガイド、添乗員が部屋に来る。
皆が見ている前で担当者がシャワーのレバーを引き、赤い印の付いた左側に回す。手で水を触っていて水しか出ないので、水色の印のある右側に回す。しばらく触っていてお湯が出ましたと言う。そんな馬鹿な。
ガイドも色んなことをやってみてくださいと言う。一緒に写真を撮ってくれた人は、昨日は水も出なかった、と言っていたから私はまだましなほうなのかもしれない。
8月8日 日本人墓地
朝4:30から朝食。6:38発の列車でタシケントへ。
日本人墓地へと行く。ソ連が第2次世界大戦で日本が降伏した後に日本兵55万5千人を抑留した。その内2万3千人ほどをウズベキスタンに送った。タシケントにはウズベキスタンで亡くなった人たちのお墓がある。代々墓守をしてくれている人がいて墓地は常にきれいになっている。

日本人墓地
国立歴史博物館
歴史博物館にはどうしてもティムール関係が多いのだが、仏様も展示してある。紀元前1世紀頃にインドから伝わった仏教は2,3世紀ごろに全盛期を迎えたとされている。偶像崇拝を嫌うイスラム教が入ってきてほとんど壊されたが残ったものもあったようだ。

無事生き残った仏様
ナヴォイ劇場
ナヴォイ劇場はウズベキスタンの伝説的英雄アリシェル・ナヴォイの名をつけたオペラとバレーの劇場。第2次世界大戦の前から工事は始まっていたが、戦後に日本人抑留者数百人が工事を手伝った。外壁の銘板には、1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォイ―名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。とウズベク語、日本語、英語で書かれている。当初日本人捕虜と書かれるはずであったが、当時の大統領がウズベキスタンと日本とは戦争をしたわけではないから捕虜ではなくて強制移送とするように指示を出した、とカモラさんは言う。

噴水の向こうがナヴォイ劇場
テレビ塔
予定していた日本庭園が臨時休業しているので、国営のテレビ塔に登る。飛行機に乗るような荷物検査を受ける。

テレビ塔からの眺め
バザール
バザールでは何でも売っているが、旬なのかスイカと瓜が山のように積まれている。20人の団体がカモラさんの後をついて歩いていると、商店主が追いかけてくる。先頭のカモラさんに何か言っている。安くするからうちの店にも入ってよ、と言っているらしい。

地下鉄
これから地下鉄に乗りますよ、とカモラさんが声を張り上げる。地下鉄なんか東京でしょっちゅう乗っているよ、とは言っても付いていかないわけにはいかない。
ホームに入って驚いた。すごくきれいでおしゃれなのだ。天井と壁が駅によっておもいおもいの意匠になっている。

この駅は天井の照明がシャンデリアになっている。

これは壁
帰国
タシケント発22:05の飛行機で帰国。ウズベキスタン航空は週2便タシケント‐成田間を飛んでいる。所要時間は9時間ほど。
行きは昼便なので構わないが、帰りは夜便になる。座席がフルフラットにならないので帰りは若干つらい。
第74報終わり
日程表 | ||
8月2日 | 成田発 11:05 タシケント着 16:35 HY528 | |
ウズベキスタン国内線でウルゲンチヘ移動 | ||
バスでヒヴァに移動 ヒヴァ泊 | ||
8月3日 | ウズベキスタン内の自治共和国のカラカルパクスタン共和国へ | |
バスで2時間 | ||
古代ホレズム王国の遺跡、トプラク・カラ、アヤズ・カラ観光 | ||
ヒヴァに戻り夕景鑑賞。 ヒヴァ泊 | ||
8月4日 | 11:00まで自由行動。 | |
11:00よりヒヴァ城内観光 | ||
夜国内線にてブハラへ移動 ブハラ泊 | ||
8月5日 | ブハラ歴史地区観光 | |
夜民族舞踊ショーを見ながら夕食 ブハラ泊 | ||
8月6日 | バスでシャフリサーブスへ移動(4時間) | |
シャフリサーブス歴史地区観光 | ||
バスでサマルカンドへ移動(3時間) サマルカンド泊 | ||
8月7日 | サマルカンド文化交差路(世界遺産)観光 | |
レギスタン広場、グリ・アミール廟 | ||
シャーヒ・ジンダ廟、ビビハ二ム・モスク、 | ||
バザール サマルカンド泊 | ||
8月8日 | サマルカンド発 6:38 タシケント着 8:48 高速鉄道で移動 | |
タシケント市内観光 | ||
日本人墓地、ウズベキスタン歴史博物館、ナヴォイ劇場、 | ||
タシケント地下鉄、日本庭園 | ||
タシケント発 22:05 | ||
8月9日 | 成田着 9:55 HY527 |
